Archive for February 2005

24 February

レンテンローズ

 我が家のレンテンローズHelleborus orientalisが咲いた。キンポウゲ科である。日本ではクリスマスローズと呼ばれることが多いが、本物のクリスマスローズはHelleborus nigerであって、文字通りクリスマスの頃から咲き出す。これに対してレンテンローズは、キリスト教のレント(イースターまでの40日間)の頃、つまり2月頃から咲き出す。
 日本でクリスマスローズとして売っているのはほとんどレンテンローズと見て差し支えない。nigerの方はほとんど白なのに対して、orientalisの方は褐色を帯びた禄黄色を基本として、クリーム、紫紅色、黄緑、斑点入りなど多彩で愛好者が多い。
 花びらと見えるのは萼で、花弁は退化している。この萼片はしべが枯れ落ちても長く枯れずに残る。次々に花芽が上がってきて長く楽しめる。
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23 February

DNA鑑定へのぬぐえぬ疑問

 もう旧聞に属するが、横田めぐみさんの遺骨と称する骨についてのDNA鑑定で、日本では検定結果の妥当性についての議論は全くされないまま、もはや否定しがたい「事実」として流布されてしまっている。いまその結果に異存、あるいは疑問を呈するだけで袋だたきになりそうな雰囲気である。
 しかしこの鑑定結果が出たときから、未だにぬぐえぬ疑問が残っている。それはDNA鑑定で、二つの資料からのDNAが一致した場合には、「両者のDNAは、同一人物のものである可能性が極めて高い」という結論は容易に導ける。ところが一致しなかった場合には、それが他人のDNAだという結論は容易には導けない。何故なら今回の遺骨は火葬され高温に曝されたものである。その過程でもDNAが化学変化を受けなかったということを証明しない限り、他人のDNAであるとは結論できない。これは全く専門家でない人にも容易に納得できる論理であろう。
 それなのにこれまでマスメディアやその道の専門家からも、その論理に基づいた疑問が提出されたものを目にしたことはない。気になってインターネットもかなり丹念に調べてみたが、ただの1件もそれらしいものにはお目にかからなかった。一体これはどうしたことだろうか。
 国と国の関係を決定的に悪化させうる重大な結論を出したからには、鑑定を行った帝京大学の吉井富夫氏は、その科学的な結果を公表すべきであろう。学会での討論に耐えうるものなのか、是非知りたいものである。
 資料1.5gはすでに使い切ったという話であるが、資料はなくても実験結果は残っているはずである。科学的な検証もしないで、これほど重大な結果を発表した政府も軽率のそしりを免れまい。しかも第三国での再鑑定は必要がないとしているのも納得できない。政府は北朝鮮には、その結果が科学的に間違いがないということを伝えたらしいが、それなら何故国内でもそれを公表しないのか。
 こんな議論をするのは政治的な意図では全くない。純粋に科学的な見地から疑問を提出しているだけである。科学的研究はそれが予想と反した結果が出たときこそ、大きな発見に繋がる可能性があるが、その結論を出す前に、実験や考察に落ち度はないか、見落としや勘違いがないか徹底的な吟味を必要とする。かつて科学的な仕事を生業とした経験からも、この点は慎重の上にも慎重でかければならなず、他の専門家との討議も欠かせないことを主張したいのである。鑑定は不可能という結論を出していた科学警察研究所の人の意見も聞いてみたいものである。
http://www.cathome01.com/mt-tb.cgi/1171
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確定申告

 今確定申告の時期である。年金生活にはいり、年金額が税法で認められた控除額を超えると申告が必要になる。サラリーマン時代には全く人任せであった人も、ややこしい税金の計算に頭や時間を取られることになる。
 昨年までは申告書作成に、税務署から送られてくる手引き書と首っ引きで取り組んだ。たまたま年金以外の収入があったりするとそれだけでは足りず、インターネット上の解説をプリントして悪銭苦闘しなければならなかった。所が今年はインタネット上で、国税庁の申告用紙に数字を打ち込む方法を初めて使ってみた。あれよあれよという間に、申告書が出来上がり、これを印刷するともうできあがりである。収入の種類の違いによる税法上の扱いの違いなど、何も知らなくても、しかるべき所に数字を打ち込んでいくだけで自動的に申告書が出来上がるのだから実に有り難い。
 結果は去年より課税所得が24万円以上減ったのに、税額は4万円余り増えて、ばっちり増税の痛みを感じることができた。これは配偶者特別控除がなくなった影響が大きい。
 日本人は納税にも税金の使い道にも関心が薄いといわれる。それもサラリーマンの源泉徴収制度という、世界に余り例のない制度によるところが大きいらしい。確かにサラリーマンは税金や社会保険料などを差し引かれることは当たり前で、自分の収入を「手取り」で考える習慣が付いてしまっている。この制度は企業に事務負担を押しつけられるので、税金を取る側には実に都合がよいことであるが、納税者から見れば税金の痛みやその使われ方への関心を薄めてしまう。
 折角国税局がネット申告ができるようにしてくれたのだから、サラリーマンも確定申告をするように制度改正をすべき時が来ている。サラリーマンと呼べる程の人ならば、いまやパソコンやインターネットを利用しない人はないであろうから、障害は余りない。少なくとも源泉徴収・年末調整と、確定申告のどちらかを選択するようにすれば、税に対する関心をもっと高められるはずである。
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20 February

ユリが揺れる

 最近の科学がらみの新聞記事で最もショックを受けたのは、2月12日の朝日新聞夕刊の記事であった。ユリの語源は、風に吹かれて揺れる姿を「揺り」としたものという。そのユリが強風に曝されているというのである。「ユリ科 大揺れ」というその記事は、最近のDNAを使った研究で、今までユリ科とされていた植物の多くが、実は別系統になるという。ユリ科は少なくとも五つのグループに分解されそうだというのであった。
 花を愛でる立場からいえば、その花が何科に属していようと構わないという考えもあろうが、やはり自分の好きな花がどういう系統に属しているかは気になるところである。
 今までユリ科に属していたアマドコロ属、ジャノヒゲ属、スズラン属、オモト属、クサスギカズラ属(アスパラガス)、ギボウシ属、オリヅルラン属、ネギ属その他が、何とラン科やアヤメ科と同じ系統樹に属するというのだから驚きである。ユリ科ユリ属はその大枝から分かれた別系統で、チューリップ属、ホトトギス属が近縁で、タケシマラン属がそれに次ぎ、チゴユリ属、イヌサフラン属などが同じ枝に連なっている。
 これまで目に見える花の形態を中心にした分類には限界が見えてきたということなのだろう。実はユリを含む単子葉植物の地位自体が危うくなっているという。被子植物の中で発芽時の子葉の数で「単子葉」「双子葉」と分けていくのが分類の基本中の基本であった。ところがDNAで調べると、単子葉と双子葉は系統樹の根元から二つに分かれる形にはならず、モクレンのような原始的とされる双子葉植物の仲間から分かれた小さな枝が単子葉だという。
 これは分類学の大革命である。ユリが揺れるどころの話ではなく、植物全体の分類が見直され、進化像が明らかになり、その多様性の説明ができるようになるだろう。植物図鑑の編集も大変になるだろう。これからはうっかりその花は何科何属という話ができなくなる。しかし面白くなってきたというべきだろう。
 
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タイタンに地球外生物の可能性はあるか

 最近土星の惑星の一つタイタンに、探査機ホイヘンスが着陸して、見事な映像を送ってきた。そこには液体が流れたような地形があって、液体のメタンの雨が降り、海があるのではないかといわれている。そのことから生物がいる、あるいはいた可能性が取りざたされている。
 しかしその期待に水をかけるようであるが、可能性はゼロである。温度の低さもさることながら、液体の水が存在しないからである。生物に水が必要というのは、地球上の生物の常識にとらわれているからで、全く性格の違った生物がいてもおかしくないと思う人がいるかも知れない。
 しかし生物に水が必要ということは、マクロの生物体に水が要るということを超えて、ミクロの生命現象自体が、極めて特殊な液体である「水」なしには起こりえないのである。化学または生化学の専門家以外の人にそれを説明することは簡単ではないが、あえて多少の正確さを犠牲にして説明を試みよう。
 水の中に小さな油滴が二つあるとしよう。この油滴は二つに分かれているよりは一つになろうとする傾向を持っている。なぜなら一つになった方がエネルギー的に安定だからである。その原因が実は水にあるのである。水は固体(氷)ではダイヤモンドによく似た結晶構造を持っている。だから雪の結晶は正六角形である。ただダイヤモンドが炭素と炭素との間の強固な結合で繋がっているのに対して、H2Oの分子式を持つ水の結晶では、水素原子を仲立ちとして酸素原子と酸素原子が繋がり、その結合は弱いもので容易に切れたり繋がったりしている。(この結合を水素結合という)だから温度が0度を超えると液体になり、手をつないだ沢山の子供が動き回って、手を離したり繋がったりを繰り返すような状態になる。それでも不完全な網目構造はなくならない。
 このような液体の水の中に油滴が入ると、油滴の周りの水の構造が変化する。そしてその構造変化によるエネルギーが、油滴が二つの時より一つの時の方が低いのである。
 油滴に代わってもっと小さな「疎水性」の分子を考えても同じことである。だから疎水性の分子は、水の中では一つにまとまろうとする。実はこの性質が生物現象の基礎である。このように水が油滴に働きかける力を「疎水結合」といっている。
 すなわち生物体内での何万という化学反応を触媒している酵素とその反応を受ける物質(分子)との結合、神経伝達における受容体と化学伝達物質との結合、ホルモン受容体とホルモンとの結合で、その第一段階で働くのはこの「疎水結合」という力である。また独立した生活ができる生物には、必ず細胞膜という仕切りが存在する。膜を構成しているのは脂質、すなわち一種の界面活性を持った油である。その脂質は水の中で自動的に閉じた球体を作る。これを作る力も「疎水結合」である。すなわち生物が生物としての形や機能を持ちうるのは「疎水結合」のお陰なのである。
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