Complete text -- "タイタンに地球外生物の可能性はあるか"

20 February

タイタンに地球外生物の可能性はあるか

 最近土星の惑星の一つタイタンに、探査機ホイヘンスが着陸して、見事な映像を送ってきた。そこには液体が流れたような地形があって、液体のメタンの雨が降り、海があるのではないかといわれている。そのことから生物がいる、あるいはいた可能性が取りざたされている。
 しかしその期待に水をかけるようであるが、可能性はゼロである。温度の低さもさることながら、液体の水が存在しないからである。生物に水が必要というのは、地球上の生物の常識にとらわれているからで、全く性格の違った生物がいてもおかしくないと思う人がいるかも知れない。
 しかし生物に水が必要ということは、マクロの生物体に水が要るということを超えて、ミクロの生命現象自体が、極めて特殊な液体である「水」なしには起こりえないのである。化学または生化学の専門家以外の人にそれを説明することは簡単ではないが、あえて多少の正確さを犠牲にして説明を試みよう。
 水の中に小さな油滴が二つあるとしよう。この油滴は二つに分かれているよりは一つになろうとする傾向を持っている。なぜなら一つになった方がエネルギー的に安定だからである。その原因が実は水にあるのである。水は固体(氷)ではダイヤモンドによく似た結晶構造を持っている。だから雪の結晶は正六角形である。ただダイヤモンドが炭素と炭素との間の強固な結合で繋がっているのに対して、H2Oの分子式を持つ水の結晶では、水素原子を仲立ちとして酸素原子と酸素原子が繋がり、その結合は弱いもので容易に切れたり繋がったりしている。(この結合を水素結合という)だから温度が0度を超えると液体になり、手をつないだ沢山の子供が動き回って、手を離したり繋がったりを繰り返すような状態になる。それでも不完全な網目構造はなくならない。
 このような液体の水の中に油滴が入ると、油滴の周りの水の構造が変化する。そしてその構造変化によるエネルギーが、油滴が二つの時より一つの時の方が低いのである。
 油滴に代わってもっと小さな「疎水性」の分子を考えても同じことである。だから疎水性の分子は、水の中では一つにまとまろうとする。実はこの性質が生物現象の基礎である。このように水が油滴に働きかける力を「疎水結合」といっている。
 すなわち生物体内での何万という化学反応を触媒している酵素とその反応を受ける物質(分子)との結合、神経伝達における受容体と化学伝達物質との結合、ホルモン受容体とホルモンとの結合で、その第一段階で働くのはこの「疎水結合」という力である。また独立した生活ができる生物には、必ず細胞膜という仕切りが存在する。膜を構成しているのは脂質、すなわち一種の界面活性を持った油である。その脂質は水の中で自動的に閉じた球体を作る。これを作る力も「疎水結合」である。すなわち生物が生物としての形や機能を持ちうるのは「疎水結合」のお陰なのである。
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 ところがこの「疎水結合」という学術用語ほど誤解されている言葉はないであろう。化学者や生化学者でさえ、間違って理解している人は少なくない。かつて日本を代表する生化学者の一人の書いた教科書でも、また最近の放送大学の先生も間違っていた。
 最も大事なことは、「疎水結合」という力は、媒体である水によってもたらされているということである。決して油滴と油滴、分子と分子それ自体の持つ力ではないのである。もちろん一旦結合した後では、電気的結合、水素結合、ファンデアワールス力などの力が働くが、これらは距離が近くならないと働かない。それに対して疎水結合は、水という液体の持つ極めて特異的で巨大な網目構造を通じて、遠達力として働く。
 この水の持つ遠達力のお陰で、反応を受ける分子と酵素、神経伝達物質と受容体、ホルモンとその受容体など、生物現象になくてはならない分子同士の結合が高い確率で起こるのである。もしこれらの反応が、全くランダムな分子同士の衝突に依存するなら、反応の確率はほとんどゼロになって、生命現象は成り立たない。実に地球上に生物が発生したという奇跡は、地球上に水という奇跡の液体が大量に存在していたという偶然によって発生したのである。まさに「太初に水ありき」なのである。
 以上のことからわかるように、液体の水のないところに生命は原理的に発生し得ない。かつて火星に液体の水があったなら、あるいは生命が発生したかも知れない。しかし初めからそれが存在し得ない土星の衛星に、生命の発生する可能性はないのである。天文学者がその可能性を主張するのなら、それは化学的知識がないか、または予算を取るための政治的発言であろう。
 広い宇宙の中には、地球に似た環境を持つ天体が存在するだろう。そこには別の生命が生まれているかも知れない。また水以外に、疎水結合的な力を持つ液体がないわけではない。液体アンモニアはその一つである。従って液体アンモニアを持つ天体には、生命現象が生じる可能性はゼロではないだろう。しかし水に比べればその可能性は極めて低いのではないか。
 いずれにしても地球上に生命が誕生し、それが人間にまで進化したことは、水の存在を初め、沢山の偶然の条件が重なって起こった奇跡中の奇跡であって、広い宇宙の中にあってもそう頻繁に起こりうることではないだろう。それだけにこの「奇跡の星」の上で殺し合うことだけは止めたいものである。
 興味のある人は「窒素ラヂカルの正論・暴論」に、かつて筆者が書いた「無宗教の勧め」をご覧頂きたい。http://www.archivelago.com/~Chisso/
 
11:23:40 | archivelago | | TrackBacks
Comments

樋口和男 wrote:

「奇跡の星」の上で殺し合うことだけは止めたいものである・・全くです。お話が専門的で分かりにくいのですが、頭脳明晰うんちくのあるお話と、感銘しています。お気に入りに設定したので、時々読ませてください。
03/01/05 07:36:04
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