Complete text -- "小泉首相の討論術は上手か下手か"

29 August

小泉首相の討論術は上手か下手か

 今日1時から、新党日本を除く6党党首による討論会を視聴した。この中で小泉首相の討論の仕方だけが際だっていた。よい意味でなく、討論を空洞化させる意味で。この答弁術は国会でも全く同じである。この小泉流が国会の議論を深めず、空洞化の空しさだけを国民に残した。
 彼は質問に対してまともには答えず、いつも論点をずらせる。岡田民主党代表が、首相の答弁の途中「質問に答えて下さい」と度々注意しても、我関せずである。「自民党のマニフェストには、国民年金についての考えが全く示されていないが、どう考えているか」という質問であった。聞いている国民は、当然自民党総裁としての考え方を聞きたかったはずである。それには全く答えず、「国会で与野党一緒に協議しようということになっている」ということを延々と説明する。それだけで民主党の質問時間はなくなってしまった。自分の、あるいは党の考えを示さないのでは、政権を担っている第一党の党首としては失格であるだけでなく、議論の意味さえ無くしてしまう。
 
 自分の考えの空虚さを隠すためには、こういうすり替え答弁は有効かも知れない。国会での議論を、何れ多数による議決までの時間稼ぎととるならば、これが優れた「討論術」「答弁術」なのかも知れない。しかし今日のような討論会は、国民に政策の説明をし、理解をしてもらうためのものである。また国会においても、「討論を、よりよい結論に到達する重要な機能である」ととるならば、こんな「すり替え」「はぐらかし」「詭弁」は、討論参加者や聞き手を愚弄し、民主主義の根幹である、「討議による建設的な結論到達」という目標を妨げるものでしかない。全く時間の無駄である。

 深刻なのは、小泉首相がそのような自分の議論・答弁の仕方に問題があるとは露ほども思っていないらしいことである。今日もかつての「人生色々答弁」が蒸し返されたが、あのどこが悪いのかと改めて開き直った。いや開き直りでもないかも知れない。本当に問題を感じていないのだろう。以前から窒素ラヂカル子が指摘しているように、小泉首相は本当に頭が悪いのではないかと思う。こういう、まともな判断力も持たない首相に「毅然として」「ぶれない姿勢」で暴走されたのでは、国民はたまったものではない。
 自民・公明の過半数割れを切に願うものである。
17:07:23 | archivelago | | TrackBacks
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