Archive for 23 May 2005
23 May
「馬鹿は死ななきゃ直らない」か
来日していた中国の呉儀副首相が、今日予定されていた小泉首相との会談を突如キャンセルして帰国してしまった。「国内における緊急の公務が生じたため」と説明されているが、それを信じる人はいないだろう。明日の大連経由のモンゴル訪問は予定通り行うというのだから。明らかに小泉首相の16日の予算委員会での「靖国発言」への強い不快感を伝えるためだろう。一国のトップとの会談をドタキャンすることは、普通にはあり得ず、極めて非礼だといわれても仕方がない。それにも拘わらず、中国がそれを敢えてしたのは、首相の態度に腹を据えかねているからに違いない。
首相は「どの国でも戦没者への追悼を行う気持ちを持っている。どのような追悼の仕方がいいかは、他国が干渉すべきでない」「A級戦犯の話がたびたび論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉ですよ」と言った。中国首脳は、小泉首相にも、また与党幹部にも、しばしば首相の靖国参拝を取りやめるよう要請してきた。首相の「適切に対処する」という言葉から、中国首脳が得ていた感触は「参拝取りやめ」ではなかったか。それが予算委員会での発言で全く裏切られたと感じたに違いない。
これまでも窒素ラヂカル子は、靖国問題は他国との関係以前に、自国の問題であることを繰り返し論じてきた。靖国神社は戦前陸海軍が所管していた「国策神社」であり、軍国主義のシンボルであった。しかもA級戦犯の合祀、宮司の思想、遊就館の展示に示されているように、その体質は現在も全く変わっていない。
「二度と戦争を起こさないことを祈願する」のに、これほどふさわしくない存在はない。その神社に参拝することが、かつての被害国にどんな感情を抱かせるか、普通の人には容易に推測できることである。それでも首相は「いまだに批判される理由がわからない」という。どこまで馬鹿かとしかいいようがないではないか。
日本と中国は「戦争の歴史」をいわば共有している。その「歴史認識」が国内問題にとどまれないのは明かである。「外国に干渉されるいわれはない」という主張は意味を持たない。いくら首相が「バンドン会議」50周年記念会議で、村山談話を引用してみても、同じ日に現職閣僚を含む80人の国会議員が靖国を参拝してはすべてが空しくなる。どうしてこんな愚かな行為を続けるのか。それが日本にどんな利益をもたらすというのか。腹が立つことおびただしい。
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