Archive for 19 December 2005

19 December

捏造されたか「夢の医療」

―神格化された学者への疑惑で韓国大揺れ―

 本blogで10月に取り上げた、韓国ソウル大学のファン・ウソク(黄禹錫)教授らが成功したとされる、ヒトクローン胚からの胚性幹細胞(ES細胞)作成が捏造であった疑いが深まっている。学問的にも先進国に入りたいという韓国人の熱望に乗る形で、「ノーベル賞」間違いなしと英雄化されていった人物が、とんでもない食わせ者であったとなれば、韓国人および全面的な異例の形で教授を支援してきた政府も、気持ちの持って行きようがないだろう。

 教授自身はなお研究が正当なものであったとの主張を崩していない。しかし「サイエンスに載った論文で使った写真に決定的なミスがあった。傷ついた論文を維持出来る理由はない」として、論文を撤回すると表明した。
それに対して共同研究者の盧聖一(ノ・ソンイル)ミズメディ病院理事長は、自分が保管していたES細胞の研究材料がなくなり、ファン教授の元にあったと指摘、「ファン教授は泥棒だ」とまで非難した。同時にES細胞の作成期間が短すぎるという疑惑も指摘した。これについてファン教授は何も語っていない。
同じく共同執筆者であった米ペンシルバニア大学のジェラルド・シャッテン教授は、すでに論文内容に疑義があるとして自らの名前を削除するように求めている。ソウル大学はこれらの疑惑解明のため、12日、調査委員会を設置し、ファン教授等の論文を検証するとしている。しかし検証には1ヶ月はかかるとされている。
この疑惑が持ち上がる前の11月に、卵子を提供した女性達への金銭の支払いが発覚し、ファン教授は責任を取って、自らの為に作られた「世界幹細胞ハブ」という研究所の所長を辞任していた。ソウル大学ではこの技術に関連する膨大な国際特許を出願済みだと報道されていたが、これらもすべて捏造だったのか。

ともかく韓国のファン教授に対する国を挙げての支援ぶりは極めて異常であった。政府は教授のために上記研究所を設立した。今年1月には、幹細胞研究や遺伝子治療など先端医学を包括的に規制するアジア初の生命倫理法を施行した。同法に基づき大統領令で定めた17の難病治療の目的なら、ヒトクローン胚研究が可能になった。
教授の警護は大統領並みで24時間態勢。研究チームへの支援額は250ウォン(25億円)。大韓航空はファーストクラス搭乗券を10年間無償提供。これを契機に、韓国を最先端の再生医療先進国にしたいという思惑が国中に満ちあふれていた。このファンショックで株価も下落。(日経、12月17日による)

このような論文捏造は決して珍しいことではない。3年前、米ベル研究所でノーベル物理学賞の有力候補と目された若手研究者がデータ捏造で追放された。日本でも昨年理研で論文捏造が発覚して研究リーダー二人が首になった。東大でも工学系教授に疑惑が掛けられ調査が続いている。日本学術会議の調査では、過去6年間に少なくとも113学会で論文盗用などの不正が指摘されている。(朝日新聞、12月27日)
自然科学では、経済学などと違ってほとんどの場合、同じ条件で追試が出来る。同じ研究者または他の研究者によって、結果が再現出来なければそれは事実として認められない。だから捏造は必ずばれる。それが分かっていながらなぜ科学者はこんな愚劣なことを繰り返すのか。名誉欲というにはあまりに浅ましい。
競争が激しい分野ほど、どちらが先に論文を発表したかが争われる。雑誌投稿の場合、必ず専門分野の人がレフェリーとなって審査する。レフェリーは匿名である。彼は競争者であることも多いはず。そうなると、故意に審査を遅らせて、自分の論文を先に発表するという不届きな行為に出る人がいる。科学者の世界もどろどろしたものがあることは確かである。

米国などでは特にそうであるが、研究者は研究成果によって予算が決められる。日本でも成果主義が徹底されつつある。そういう環境下で、成果を挙げなければというあせりがそうさせるのか。韓国の場合も、日本以上に成果主義が採られていると聞く。
かつて筆者が某国立大学で派遣研究員であった頃、極めてユニークな不整触媒の研究をしていた教授が語っていた。「アメリカみたいな成果主義で評価されたら、今私がやっているような気の長い研究は出来ないよ。その意味では日本式がよい」と。研究者の場合には、捏造がない限り研究成果の評価はかなりの客観性を持って可能である。それでも特に基礎研究の場合には、どの程度のタイムスパンで評価するかが、独創的な研究の芽を摘むか摘まないかを決める。
まして企業内での社員の能力評価においては、営業のように数字が出てくる場合を除き、本当に難しい。人が人を評価することになると、人間の好き嫌いまで入ってきて、かなり評価に偏向が起こりがちで必ず不満が生じる。成果主義の陥りやすい欠陥である。それだけでなく企業の場合には、グループでの仕事が多い。そうなると自分の業績のことばかり考える社員では困る。最後は複数の評価者による、総合的な「直感」に頼らざるを得ないのかも知れない。面白いのは部下による評価である。
上、三年にして下を知り
下、三日にして上を知る  (出典不詳)

                  (05.12.19)

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