Archive for 07 October 2005

07 October

「NHK番組への政治介入報道」の後味の悪さ

 朝日新聞は10月1日の紙面に、「『NHK報道』委員会」の見解と、「朝日新聞社の考え方」を載せた。これに関して他紙は、一斉に社説で朝日を批判した。
読売「裏付けのない報道は訂正が筋だ」
毎日「事実解明なしで新聞社ですか」
産経「何故潔く訂正できないか」
日経「幕引きにならぬ朝日の説明」
 ネット上では例によって朝日に対する「罵詈雑言」が花盛りである。論点は幾つもあるが、了解を得ないで取られたらしい取材テープが、外部に流出した経路が解明されなかったことも取り上げられている。この点ではテープの存在そのものが明らかにされていないこともいらだたしさを覚えさせる。そしてそのことが、ことの本質へ迫ることを妨げているように見える。
 
 新聞社としては、取材相手に了解を得ないでテープを回していたことは、口が裂けても言えないと朝日は判断したのだろうが、「月刊現代」の記事を読めば、テープの存在は否定しようがないだろう。実際この記事内容についての真贋の議論はほとんどないし、当事者からの反論はあったとしても説得性のないものばかりである。このことは月刊現代に載った当事者の会話が、ほとんど事実であることを物語っていよう。もしテープが公開されたら、誰が嘘をついていたか白日の下に曝されるはずである。そうなれば誰が謝らなければならないかも明白になる。同時に他の4大新聞の社説の妥当性も問うことが出来よう。
 これがないばかりに、朝日の10月1日の大紙面を使った記事も、実に後味の悪いものになった。朝日新聞は事ここに至っては、無断録音を謝罪した上、全部公開するしかないのではないか。説明責任を果たすべき公人の場合には、真実追究というメディアの役割を果たすためには、無断録音が認められることもあってよいと思う。このままでは朝日が記事を「捏造」したように世間に流布されることになり、「社内情報流出」という朝日の汚点だけが強調されて、NHKの番組編集に「事前に」政治家の影響が及んだという、最も重要な事実が霞んでしまう。
 
 限られた時間の中で記事にしなければならない新聞にとって、完璧な取材はあり得ないことに違いない。「詰めに甘さがあった」という批判は覚悟しなければなるまい。ジャーナリズムにおいては、「疑わしきは罰せず」という裁判とは違って、「疑わしきは報道する」(「『NHK報道』委員会」原寿雄委員)姿勢が必要である。たとえ「名誉毀損」の訴え、あるいは一部事実誤認のリスクがあったとしても。この点では、自民党が組織を挙げてメディア監視を強めている現在では、もう十分過ぎるほどメディアの「自粛」は行われているのだから、これ以上メディアが萎縮しては、権力監視の機能が果たせないだろう。
 他の4紙の社説には、ライバルを叩くという意識が先に立っているのか、肝心の「報道への事前の政治介入」が極めて悪いことという視点がまるで感じられない。メディアにとって何が最も重要であるかの自覚が欠けているのではないか。権力からのメディアへの攻撃に対して、メディア自身のこれほどまでの無防備さには恐ろしさを感じる。
 報道、または放送された後で、政治家がそれを評するのは当然認められるべきである。しかし事前に報道・放送の内容が政治家に漏れ、それへの干渉を許すことは絶対にあってはならない。「番組内容を政治家に事前説明することは当然の業務」という、NHK関根昭義放送総局長の発言は論外である。
 戦前、政治権力の不当な報道規制によって、表現・報道の自由が無くなったときに何が起こったか、メディアはもう一度想起して欲しい。
 
 
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