Archive for 24 September 2005
24 September
核放棄かと、嬉しがらせて北朝鮮は?
前日まで決裂かという悲観的な見方がされていた6者協議が、19日一転、共同声明の採択に至った。その中では「北朝鮮はすべての核兵器および既存の各計画を放棄する。NPTに早期に復帰し、IAEAの査察を受け入れる」ことが明記された。一方北朝鮮は原子力の平和利用の権利を持つ旨を発言し、他国はその発言を尊重する旨を述べ、適当な時期に軽水炉提供問題について議論することで合意した。一見北朝鮮が大きく譲歩したように見えた。ところがその翌日、平壌放送は軽水炉が提供されなければ核放棄はしないとの談話を発表した。北朝鮮は「米国が核兵器放棄を優先し、軽水炉提供を後回しにするとの主張に固執するなら、核問題では何も変わるものがないだろう」とさえ警告した。何のことはない。米政府高官の発言通り、核放棄前に軽水炉提供などあり得るはずもないので、今度の声明で従来と何かが変わったのか大きな疑問がつくことになった。それというのもこの声明は、最終目標を述べただけで、時間軸が全く含まれていないからである。
期限のない計画は計画ではないというのが世の常識である。共同声明はその通りの欠陥をさらけ出したことになる。恐らく期限をつけたら声明採択には至らなかったのかもしれないが、各国とも決裂だけは何としても避けたいと考えたのであろう。新聞の社説では、保守系が北に対して警戒感を失っていないのに対して、朝日、毎日は「非核化へ歴史的一歩」、「大きな一歩」と歓迎した。それでも「具体的な道筋はこれからの問題」としている。
なにしろ北朝鮮は、1992年に韓国との間で朝鮮半島の非核化に関する共同宣言に調印したのに、その後原子力発電所を建設し、核物質を取り出し、共同宣言を実質上無効にした。1994年には、米国との2国間で核開発凍結を約束した米朝ジュネーブ合意に至った。ここでは米国が軽水炉建設を行い、北朝鮮は核物質抽出を中止することを取り決めたはずだった。しかし北朝鮮はこれを無視し、核物質を抽出し、核兵器保持声明まで出すに至った。このような北朝鮮の態度は、小泉首相の訪問時出された平壌宣言の精神も踏みにじるものだった。
このように北朝鮮は、国際社会にしばしば煮え湯を飲ませてきた国である。とても一片の声明で信用するわけに行かない。中国代表の武大偉外務次官がいうように、「我々は今後も非常に長い道を歩まなければならない」ということであろう。11月上旬に次回協議を開くことになっているが、ここでまた今までと同じやりとりが繰り返されることになる。
今回の協議時に注目されたのは、北朝鮮が積極的に日朝協議に応じたことである。今までの北朝鮮の、木で鼻をくくったような対日姿勢とは明らかに変化した。恐らくこれは、小泉首相が選挙で大勝し、しかも後1年で首相を辞めると明言していることから、小泉在任中に国交正常化を図りたいという意図があるものと思われる。
国交正常化のためには、拉致事件に何らかの姿勢の変化が不可欠である。しかしあれほど拉致事件はすでに解決した問題だと主張していた北朝鮮が、もう一度別の拉致を認めることは、第一回小泉訪朝の際に拉致を認めたこと以上に難しいのではないか。その理由の一つは、拉致は一部の跳ね上がりが引き起こしたという言い逃れが出来ないことである。なぜなら「横田めぐみさんの遺骨」を出してきたことを含む一連の対応は、まさに金正日の了承の下に行われたことは明白であるからである。もう一つの理由は、残りの拉致被害者は、恐らく北の政権の中枢に関する情報を持っていて、帰すに帰せない人達だろうからである。
北は「過去の清算」という名の援助を日本から引き出したいのは山々であろう。交渉上手の金正日のこと、これからもある時は嬉しがらせ、ある時は怒らせ、ついたり離れたりしながら、金を引き出す方はなるべく早く、核開発の方は逆に出来るだけ時間稼ぎをして引き延ばすことに努めるだろう。これに対して有効な手がないのが何とももどかしい。
23:03:26 |
archivelago |
|
TrackBacks