Archive for 16 September 2005

16 September

やはり公明党の権力行使は違憲の疑い

「ひでぼん」さんに反論する
       ―やはり公明党の権力行使は違憲の疑い―

 私の「公明党はいつまで自民政治を支えるのか」という文章にコメント(以下コメントといったらこれを指す)を頂いた「ひでぼん」さんに反論致します。

 「私が宗教団体と一心同体の政党が、政権に参加すること自体、憲法20条第1項に違反する疑いが濃いが、一旦それはここでは置いておこう」と書いたことに、先ず強烈に反発されました。この憲法理解度は幼稚園児並みだということです。折角置いておこうとしたことに反発されたのですから、この問題を議論しないわけにはいきません。
 
 幼稚園児とは申しません。中学生か高校生に、憲法20条第1項の文章、「いかなる宗教団体も、(国から特権を受け、または)政治上の権力を行使してはならない」を読ませてみて、ある宗教団体が連立政権に参加していることは、政治上の権力を行使していることにならないかと質問してみて下さい。恐らく「政治上の権力を行使している」という答えが多いのではないでしょうか。
 私の解釈は公明党の存在とその活動を根底から否定することになりますから、ひでぼんさんが「幼稚園児」などという誹謗までして反論される気持ちはよくわかります。公明党もあらゆる法律上の知識を駆使して理論武装をし、支持者にも徹底させていることでしょう。公明党の党首も幹事長も法律の専門家ですから、何とでも理屈はつくかも知れません。私は法律の専門家でも何でもなく一市民ですので、その争いになったら勝てそうもありません。
 しかしこれは自衛隊が憲法違反かどうかという議論によく似ています。これまで半世紀以上、法律家と政治家がよってたかって、現実に合わせるためにねじ曲げねじ曲げして作り上げてきた、「自衛隊合憲論」が、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という条項の、中学生並みの素直な日本語解釈ではおかしいということになるのとそっくりです。みんながおかしいと思えばこそ、憲法改正の気運が高まっているのでしょう。
 コメントの中で、あなたは「宗教団体が政治にかかわると憲法違反、などという暴論にいきつくわけがありません」と述べられました。私は「宗教団体が政治にかかわると憲法違反」などと、一言も言っておりません。議論をすり替えないで下さい。私は宗教団体が政治活動をすることは、憲法もそれを保障していると考えますし、それが限度を超えない限り当たり前だと思います。私が言っていることは、「宗教団体が権力を行使することが憲法違反の疑いがある」ということです。

 だから問題はその政治活動が、権力の行使に至ったとき、20条に違反しないかということです。日本国憲法は、おそらく世界でも珍しいのでしょうが、厳格な政教分離を定めています。先に引用した憲法20条第1項の後段の規定は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保証する」という前段の規定を強化するためのものだという解釈が可能です。なぜならある特定の宗教団体が「政治上の権力を行使」したら、他の宗教団体はその権力によって規制を受け、信教の自由が侵される可能性があるのを事前に防ぐ意味があるからです。
 公明党は、憲法20条でいう「権力」とは、裁判権・徴税権・警察権などの、「統治的権力」であると主張しています。しかしこれは随分強引な解釈であって、権力がこんな狭いものを意味するとは私には思えません。「権力」を上記の「統治的権力」に限定するなら、憲法第20条第1項後段の規定は一体何のためにあるのかということになります。
 従って宗教団体にも保障された政治活動が、20条が禁止した「権力の行使」に及びそうになったとき、政治活動の自由とどう折り合いをつけるかの問題になります。政治活動の自由といっても、それが破壊活動であったり、テロであったりすることが認められるはずがありません。その意味では「政治活動の自由」は、例えば「公共の福祉に反しない限り」とか、「他の基本的人権が侵されない限り」というような制限を付けうる自由だといえるでしょう。
 それに対して、「宗教団体の政治上の権力行使の禁止」は、「信教の自由」を保障する重要性から見ても、例外を認めるべき規定とは思えません。従って特定の宗教団体が権力を行使することが、他の宗教団体の信教の自由を侵害する恐れがあるのなら、「政治活動の自由」は制限されるべきだと考えます。
 コメントの中であなたが述べられた「国民の大多数が特定の宗教団体に属したら政治活動が出来なくなれば、宗教団体に属しない人間だけで行われる政治しかありません」という文章は全くナンセンスです。そんな馬鹿なことをいっている人は誰もいないでしょう。もちろん私もそんなことは言いません。

 私は憲法第20条違反の疑いは、すでに公明党が国政に乗り出したときから始まったと思います。なぜなら国政に乗り出すということは、権力を持つことを目指すものにはかならないからです。まして宗教団体が政権の一翼を担うことを憲法が想定していたとは到底思えません。
 ここで私は今敢えて、意識的に公明党=創価学会ということで議論しています。それにあなたは反論されるでしょうが、あなたがどう強弁されようと、その一体性は創価学会員を含めて、日本人のほとんどが肯定せざるを得ないでしょう。それは選挙の時の一糸乱れぬ創価学会員の、あきれるほど熱心な活動からも伺えます。

 私はイスラム圏の国々での宗教による政治支配の、人々、特に女性の基本的人権を認めない非道性や、神の名における残酷なテロ活動を見るにつけ、また日本においても、国家神道という宗教が行った巨悪を考えるにつけ、戦後の日本での宗教が、これまで政治に発言力を余り持っていなかったことは、非常に幸せなことだったと思っています。
 神なり仏なり、また別の名で呼ばれるなり、何でもいいのですが、「絶対者」を信じるものが宗教であるなら、その信者はその絶対者に帰依するしかないのであって、批判したり反対したり反抗したりすることは出来ないはずです。批判、反対意見の開陳が、民主主義の必須条件であることを考えれば、宗教が政治に容喙することはそれを侵す危険が多分にあります。たとえその宗教団体が、「世界平和」「人道主義」「弱者救済」などを標榜していたとしても同じことです。団体に対する批判はそのまま「仏法への反逆」「仏敵」などと、言われてしまう可能性があるからです。
 かつて創価学会が引き起こした批判本の出版差し止めという、あってはならない言論弾圧行動や、いまは党の綱領からは削除された「国立戒壇」とか「王仏冥合」といった思想が、根本的になくなっているとは信じられません。あの事件後行った池田名誉会長の「猛省」のあとも、名誉会長は「仏敵」という言葉を使っています。
 創価学会に限らず、宗教団体が極楽浄土を作ると称して、国をその宗教一色に染めようとする主張は沢山あります。そんなえせ宗教とは違うというかも知れませんが、それが宗教である以上、目指すところは同じではないのですか。創価学会・公明党の、批判に対する異常なまでの反発は、その批判がそれだけ核心をついているからでしょう。

 あなたが支持しているらしい小泉首相の尊敬する人は信長だそうです。信長は比叡山焼き討ちで女子供まで皆殺しにしました。一向宗への残虐な弾圧も徹底しています。そのような非道さ、非情さを非難し嫌悪する人は沢山います。しかし一方で、信長ほど徹底した「改革者」は、世界的に見てもいないという評価も広く行われています。小泉首相が彼を尊敬するのはそのためでしょう。
 信長の比叡山、一向宗弾圧のお陰で、日本ではその後宗教戦争がほとんど起こらず、その後の社会動乱の大きな一つの根が断ち切られたという歴史家もいます。私はその見方が正しいかどうかを判断する力を持ちません。また私はその信長の非情さはどうしても好きになれません。しかし日本が宗教によって政治が壟断される社会ではなくなったのは、大変よかったと思っています。
 だからこそ、新たな宗教の政治進出を認めるわけにはいかないのです。個人がどんな宗教を信じようと、オウムのような宗教を認めないといったある制限の下ならば、それは自由であるべきです。しかし他の宗教信者や無宗教者に影響を与えるような権力を、特定の宗教団体が持つことには断固反対せざるを得ないのです。
 創価学会は公明党という政治団体を通じて、政治に強い影響力を持つようになっただけでなく、その豊富な資金力を活かした、本や雑誌の広告料、政教新聞などの印刷委託を通じて、マスコミの創価学会・公明党批判をも実質的に封じています。これはゆゆしいことです。今はネット上および余り高級でない週刊誌と、いくつかの単行本以外、ほとんど創価学会・公明党批判は見ることが出来ません。
 本当なら公明党の国政進出と憲法との関係の議論は、マスコミでも憲法学領域や法曹界でも活発に行われるべき重大問題だと思いますが、残念ながらほとんど行われておりません。公明党はこの問題はすでに決着済みとしていますが、決着どころか、今回の選挙結果のように問題は益々深刻になっています。だから「幼稚園児並みの憲法理解度」とののしられようと、やはり声を出さなければならないのです。この問題が出たときの創価学会・公明党の反発の激しさ、その言葉の品のなさは驚くばかりです。
 自民党の中にも、公明党に批判的な人は少なくありませんでした。恐らく小泉首相もその一人でしょう。それが公明党なしでは政権維持が出来なくなった自民党からは批判の声が上がらなくなりました。全くのご都合主義と言わざるを得ません。

 自公で三分の二以上の議席を占めたのですから、与党だけで憲法改正の発議が自由に出来るようになりました。実際に与党案がどういう形で出されるかわかりませんが、2党の協議の中で、既成事実を合憲化するために、まさか第20条第1項の後段をそっと削除するなんてことにはならないでしょうね。何しろ自党を有利にするために、都市部だけを中選挙区制に戻すゲリマンダー的画策さえした党ですから信用できないのです。昔鳩山内閣がやろうとした「鳩マンダー」というのがありましたが、「公マンダー」とでもいうのでしょうか。幸い世論の反発もあって不成功に終わりました。
 議席の三分の二を占めると、憲法第55条によって、議員の議席を失わせるという恐ろしいことも出来ます。公明党を批判する「仏敵」議員は、議員の資格がないと言わないで下さいね。

 あなたは私に「もう少し深く、正しく、どこまでも冷徹に客観的に情報を取材し、選択し、よって事実に迫る認識をして頂きたい」と忠告して頂きました。これは何かの主張をする人の心がけるべき基本だと思います。ではコメントに見られるあなたの認識や文章はこの自分の忠告に忠実なのでしょうか。私には創価学会・公明党可愛さの余り、それへの批判は許し難いという意識が強すぎて、冷徹さも客観性も失われているように思えてなりません。この忠告をあなたにそっくりお返ししたいと思います。
 あなたのコメントに対する反論的再質問を、コメントへのお礼として書いてありますので、もし目に触れたらお読み下さい。

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