Complete text -- "敗戦60周年"

15 August

敗戦60周年

 今日は戦争に敗れてから60年目である。どうしても書いておかなければならないことがある。
 60年前のあの日も暑い日だった。中学1年半ばのあの日、1年生は疎開を兼ねた山の開墾のため、山の中へ行くために布団などの荷物を学校へ持って行く日だった。重大放送があるので是非聞くようにという通達があって、近所の人達がラジオのある我が家に集まっていた。
 ラジオは雑音で聞き取りにくく、天皇の言葉の難しさもあって、多くの人は意味を掴めなかった。しかし父は「負けた」とはっきり理解したようだ。負けたと聞いた隣の人がそんなことはないと抗議に来たこともあった。
 
 いつか必ず日本のために神風が吹くと信じ、自分も必ず戦争に行って死ぬと覚悟を決めていた軍国少年にとって、日本が負けるなどとは信じられないことだった。戦後間もなくの修身の時間に、教師が「君たちにとって一番大切なものは何か」という質問を生徒に次々に答えさせた。色々な答えがある中で、教師が最後の生徒に「君たち、命は大切ではないか」と聞いた。その時の彼の答えは今でも忘れられない。「天皇陛下のためならば命は惜しくはありません」というのであった。戦争が終わっても戦争中の教育の「成果」をこれほど示す答えはないだろう。
 やがて占領軍がやってきた。それとともに今の今まで軍国主義を鼓吹していた教師が、手のひらを返したようにアメリカ礼賛を始めた。実際アメリカ軍の車両のタイヤを見て驚いた。まるで巨大な歯車のように分厚いトレッドは、日本のすり減ったタイヤとは比べものにならなかった。中学のブロック塀は、ブルドーザーであっという間に壊されて、占領軍に接収されたプールへの道路が造られた。これでは勝てるわけがないというのが、子供にさえよくわかってきた。
 こういう変化があって、俺たちは騙されていたのだ、ということを段々理解するようになっていった。もう騙されないぞというのが、その後の自分の思想を形作る原点になったような気がする。
 ほとんど同じ世代、あるいは少し上の世代の人達の中に、天皇陛下の御為に命を捨てることをたたき込まれた教育、思想・信条の自由などまるでなく、政府・軍隊に反対すれば即投獄・拷問を覚悟しなければならない空気、あんな時代を肯定的に考えられる人が何故いるのだろうと不思議でならない。
 あの戦争は自衛のための戦争であって日本は悪くないという主張が相当数見られる。百歩譲ってそうであったとして、その戦争をするに至る時代の空気そのものまで肯定するのだろうか。とてもじゃないがあんな時代はまっぴらである。
 今かしましい靖国問題にしても、靖国神社は国民を戦争に駆り立て、死んでも不満を持たせないための重要な国策機関であったことを考えれば、口では恒久平和を祈念するために参拝するとか、現在の平和で発展した日本を築くために国に殉じた人に尊崇の念を表すためとか、いくら言い繕ってみても、「よく言うよ」という感じである。
 60年の時が流れて、いつしかまた嫌な時代の足音が聞こえるようで、先行き短い人生でも、先々のことどもが気なって仕方がない今日この頃である。
23:49:38 | archivelago | | TrackBacks
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