Archive for 06 February 2006

06 February

規制改革の光と影

ー消費者としてのメリットと勤労者としてのデメリットー

 バブル崩壊によって日本経済が長期停滞に陥ったとき、それまでの日本的・護送船団的システムが悪いのだという議論が澎湃とわき上がり、世の中は「規制緩和」一直線で進んできた。小泉内閣はさらにいわゆる「改革」を旗印に、その路線をさらに突き進む姿勢を示している。

 このような「規制緩和」「規制改革」は、誰に利益をもたらしたのか。それは第一に消費者であり、第二に企業セクター、中でも大企業であったろう。ところが消費者は多くの場合、生産者・労働者・勤労者でもある。この二面性からみて、働く立場では人々に規制緩和がどんな影響を与えてきたのかを、十分に検証してみる必要があるだろう。

 規制緩和の典型的な業種であるタクシー業界に対して、国土交通省が抜き打ち監査を導入した。4月からは厚労省と合同の抜き打ち検査も行う。この理由はタクシー運転手のあまりにも劣悪な労働環境が、目に余るということである。
 タクシー利用者は減少しているのに、02年の規制緩和により業者数も台数も増え、1台あたりの売り上げは、04年度には99年度より3500円少ない8985円になった。運転手の年収は全産業平均の6割に満たない308万円。地域ごとに最低賃金法で定められた賃金を割り込む県(徳島、大分、宮崎)も現れた。労働者のセーフティネットとされる最低賃金制度さえ機能しなくなっている。その最低賃金そのもの自体、生活保護より少額の例が多い。欧州諸国の最低賃金は労働者の平均賃金の50%以上に設定されているのに対し、日本のそれは平均賃金の30%強にすぎない。セーフティネットともいえない水準である。
 タクシー運転手という職業が、会社をリストラされた人々の受け皿になったのは確かであろう。しかしその実態がわかるにつれて辞める人も多いらしく、利用するタクシー会社の中には、いつ乗っても新人運転手で、道がわからないという例が最近特に目立つ。
 あまりの低収入にたまりかねた運転手達が、「規制緩和による過当競争で低賃金労働を強いられている」として、国に損害賠償を求める訴訟も各地で起こっている。規制緩和のうたい文句は「事前規制より事後監視」であるが、この業種の規制緩和の例でもわかるように、事前規制を少なくして官の役割を縮小したとしても、事後監視業務は著しく増え、「小さな政府」には必ずしもならない。

 規制緩和は「働き方の多様化」の名目で雇用市場に及んだ。派遣労働の契約期間延長や対象業務の拡大など、企業にとっては「働かせ方の多様化」が進み、「働かせる自由」が拡大して大きなメリットをもたらした。正社員が97年から04年までに400万人減り、パート・アルバイト・派遣社員などの非正規社員は、01年に27%であったものが、05年には33%に増えた。女性だけでは05年に53%と半数を超えている。特に流通業界では従業員の8割が非正規労働者という会社は珍しくない。こうした非正規社員の8割は、月給が20万円未満だとされる。また4割は税込み月給が10万円未満で、生活保護基準にさえ及ばない。
 フリーターと呼ばれる定職のない若者は213万人、それにニートと呼ばれる働く意欲もなくした人たちが64万人もいる。これら不安定で低水準の収入しかなく、年金にも加入していない人たちが、歳を重ねたとき、大量の生活保護者が出現する。その社会的負担は莫大なものになるだろう。
 政府や一部の論者は自ら好んで非正規社員になっている人もいるというが、彼らのほとんどは正社員になりたくても働き口がないからやむを得ずという人たちである。人材派遣業界の売上高は、04年度に2兆8615億円と、前年度から21.2%増えた。5年間で倍増である。特に製造業への派遣解禁が追い風になった。
 これら労働市場の規制緩和は、我が国における「同一労働同一賃金」原則の不徹底と相まって、労働者の間の格差を拡大したことは否定できない。97年比、生活保護世帯は60万から100万へ、教育扶助・就学援助を受けている児童生徒は6.6%から12.8%へ、貯蓄ゼロ世帯は10%から23.8%へ、国民健康保険の保険料を1年以上滞納して、保険証に代わる被保険者資格証明書の交付を受けた世帯は01年の11万から04年30万に増加した。
 これらの現象は都市や地方の財政を圧迫している。例えば足立区では生活保護費が05年度345億円と、区税収入330億円を上回っている。公立校に通う児童生徒の実に4割強が文房具・給食費などの援助を受けているというから驚く。これらの費用は5年間で3割も増えた。これらは自治体が削ろうにも削れない費用である。
 
 一方で減らされた正社員への業務の集中が、残業時間の増加に結びつく。残業手当が付くならまだしも、多くがサービス残業の形をとる。労働基準監督署は行政指導を強化している面もあって、時々目に余るケースを一罰百戒的に指導したことが新聞面に載ることがある。しかしそれは氷山の一角で、月100時間を超すサービス残業に疲れ果て、過労死する人も少なくない。政府は法的な規制を強化し、違反企業には厳罰を科す必要がある。
 そういう中にあって、最近1月27日、厚労省の研究会は、労働時間規制を大幅に緩和する報告書を発表した。法定労働時間を超えて働いた場合に支払われる割増賃金を、管理職手前の「課長代理」などにも「裁量労働」を適用して支払わなくてもよいようにするというのである。厚労省は来年の通常国会にも労働基準法の改正案を提出する計画という。経済界は大歓迎である。しかし横行するサービス残業をそのままに、「君は課長代理だ」と名目だけを与えて、残業代を支払わなくて済むようになれば、それこそ悲惨な事例が増えるばかりだろう。
 先月日本マクドナルドを相手取って訴訟を起こした同社店長、高野広志さんは、午前4時に起きて通勤に1時間かけて6時には店に入る。午後11時まで店長業務と接客をこなし、閉店後は売り上げを確認。午前1時に帰宅。睡眠は僅か3時間。会社は「管理職は労基法の対象外」とし、残業代を出さない(朝日新聞06.1.15から)。これを過酷といわずして何というか。この例など、もはや働く人は人間扱いされていないというしかない。まさに奴隷労働の復活である。
 我が国での過労死数は年に約1万人と推定されている。労働者の3〜4人に一人は過労死予備軍とさえ言われる。

 消費者のニーズに合わせるとして導入される制度や規制緩和は、働く人への負担を増すものが多い。24時間営業もその一つである。「お客様は神様」という命題は果たして正しいのか?そのお客様は、別の時間には勤労者である。その勤労者が非人間的な条件で働かされているとすれば、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という、憲法第25条の規定にも違反する事態である。その場合「神様」に多少の不便や制約を与えることはやむを得ないと考えるべきだろう。

 今世間では「希望格差社会」「下流社会」「不平等社会日本」といった本がベストセラーになっている。それが国会でも「改革の影」の部分として、与野党の議員から問題提起されている。それに対して小泉首相は、「日本ではいわれているほど格差が広がっているという証拠はない」と、都合のよいデータだけを拾い出して結論づけた内閣府の報告を援用しながら主張する。しかし格差が広がっている証拠はいくらでもある。昨年10月に本blogに書いた「経済格差の拡大は防がねばならぬ」で、具体的な数字を示したのでここでは繰り返さない。
 格差は地域間、または企業間でも広がっている。有効求人倍率の94年と04年の比較をみると、東京都で0.49から1.21へ大幅に改善されたのに対して、北海道では0.56から0.55とむしろ悪化している。一人あたりの年間給与の大企業と中小企業の差は、94年の256万円から298万円へ拡大した。日銀短観での業況判断指数が、大企業では03年にプラスに転じたのに対し、中小企業では改善されつつあるとはいえ、05年でもまだ水面下である。

 小泉首相は、「格差は悪いことは思っていない」「成功者をねたむ、能力のあるものの足を引っ張る風潮は厳に慎まないと、この社会の発展はない」とも国会で主張した。これに対するかみ合った議論はまだ聞かれず、首相の言いっぱなしになっている。この新自由主義的見解に、是非有効な反論を期待したい。
 これまでの実績を見る限り、この小泉・竹中流の新自由主義は、大企業およびきわめて少数の「勝ち組」に、最も大きい利益をもたらしたことは間違いない。その一方で、「努力しても仕方がない」という、将来への希望さへ無くした若者を、大量に生み出しつつある。「将来日本社会は経済的にどうなるか」という質問に、25歳から34歳までの未婚の若者約1000人の、実に三人に二人は「今より豊かでなくなっている」と答えている(山田昌弘東京学芸大教授らの調査による)。
 小泉・竹中路線は、効率の追求に急で、人間的視点を忘れ去っているのではないか。「小さな政府」ではなく、人間の尊厳が維持できる暮らしを守るために、自らの果たすべき役割をしっかりと認識して、政策を打ち出せる政府こそが求められている。消費者は同時に勤労者でもあるという二面性の視点から、「消費者の便益のためになることはよいことだ」として、作られてきた社会システムも、見直してみる必要があるのではないか。
                (06.2.6)
16:06:37 | archivelago | | TrackBacks