Archive for 07 September 2005

07 September

公明党はいつまで自民政治を支えるのか

 今の日本の政治地図で、キャスティングボートを握っているのは公明党である。いまや公明党の支持なしでは自民党は過半数を維持できない。自公連立がなければとっくに政権交代が起こっていたであろう。公明党は自民党の「生命維持装置」といわれるゆえんである。そもそも宗教団体と一心同体の政党が、政権に参加すること自体、憲法20条第1項「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」という条項への違反の疑いが濃いが、一旦それは置いておこう。
 
 自民党と連立を組んだ動機は、もうほとんど忘れられているが、旧自由党が提案していた比例区定員50削減案が公明党に不利と言うことで、その案に消極的だった自民党と組んでその案を葬る所にあった。自民党とよりもむしろ当時の野党に政策的には近いと見られていたにもかかわらず、理念を捨てて党利に走った。(もっと前に自公連立の伏線があったことについてはhttp://www.forum21.jp/contents/04-2-1.html 参照)それ以来、この実におかしな組み合わせが続き、その歪みが政治の方向を悪い方に引きずり込んでいる。
 例えば周辺有事の際に米軍の軍事行動に官民挙げて協力するガイドライン関連法案、日の丸・君が代法案、盗聴法案、改正住民基本台帳法案、有事法制の成立、イラク派兵の実現、歯科医師会の不正献金問題の封印、一日も持たなかった「百年安心の年金法案」のごり押しなど、「平和・人権・清潔・福祉」を売り物にしたはずの党の性格は変わり、自民党的政策の推進に多大の貢献をした。
 あの98年の金融国会で、自民・民主の「政策新人類」が活躍したとき、日本政界の近代化の萌芽が見られた。しかしそれによって棚上げされそうになった官僚、自民党の族議員、国会対策で飯を食ってきた古人類が、猛烈な巻き返しに出て、新人類を押し込めた。その動きを可能にしたのも自自公連立による数の確保であった。
 
 朝日新聞と東大樺島研究室との共同調査によっても、公明党の政策・体質は、自民党とは遠く、民主党のそれと重なっている。同じ連立を組むにしても、自党と政策的に近い党と組んだ方が政策実現の可能性は高いはずなのに、最初の間違った党利党略が、政策的に遠い政党の政策を支えるという矛盾を引きずる結果になっている。
 今回の選挙でも、神崎代表らの選挙演説は、自党と考えが近いはずの民主党を攻撃し、本当に「心にもないことを言ってる」という印象が強い。イラク派兵の時などは、創価学会の活動家等が、神崎代表らの方針に反対して、派兵中止を求める要望書を提出した。あの党の一枚岩的体質からすれば、これは大変なことである。今の公明党幹部の方針に、下部の不満は相当大きいと見られる。
 
 今後政治日程の中に、憲法改正、教育基本法改正などが上がってきたときに、自民党とは基本理念が全く違うはずの公明党はどう対処するのだろうか。連立の中で歯止めになるというのかも知れないが、それならさっさと連立を離脱すべきである。実際、幹部の発言に、「自民党との連立は間違ったなあ」という本音がちらちらと表れる。後であわてて否定することになったが、書記長の「将来民主党と連立を組むこともあり得る」という発言などがそうである。
 行きがかりということもある。この連立を解消するには、やはり自民・公明の過半数割れが必要だろう。ところがマスコミ情報によると、公明票に支えられた自民党は単独でも過半数を獲得しそうだという。投票日が近づくにつれて、解散当初の熱気は徐々に冷め、有権者は冷静に政策を考慮し始めたらしいという情報もある。それに期待するしかないが、自公の圧勝ということにでもなれば、小泉続投の声が高まるか、安倍後継が決まり、日本は一挙に右旋回するだろう。公明党はその責任をどうとるのだろうか。自ら墓穴を掘るとはこういうことを言うのだろう。
13:54:23 | archivelago | | TrackBacks