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02 September

「空気」の恐ろしさ

 9月1日、たまたまつけたテレビ、NHK BS1で、「カウラ日本兵捕虜大脱走」の再放送をやっていた。いわば戦中派でありながら、こういう事件があったことを全く知らなかった。その事件の内容もさることながら、それが起こる過程が実に衝撃的であった。それは日本人として、忘れてはならないあの時代の「空気」、日本人の意思決定の特質を、実に典型的に示しているからである。

 一々メモしていたわけではないので、細かい内容は違っているかも知れないが、大雑把に事件の概要を述べる。ニューギニア戦線での日本軍の敗色が濃厚になっていた頃、すでに食糧は尽き、傷つき、戦闘能力を喪失していた日本兵は、次々に捕虜になった。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と戦陣訓で教育されていた日本兵は、捕虜になったことを恥ずかしく思い、米兵にKill me!と訴える人もいた。
 彼らはオーストラリアのカウラという所の捕虜収容所に送られた。捕虜は今まで食べたこともないようなよい食事を与えられ、ほとんど労働もさせられず、金網の中ではあったが、自由な時間を過ごしていた。野球や手製の花札を楽しんだ。1100人ほどが40班に分けられ、それぞれ軍の階級とは関係なく班長を選び、全体をとりまとめる団長の下に、民主的な運営が行われていた。
 ところが後になって捕虜になってきた人の中に、戦陣訓を金科玉条として持ち続ける人達がいた。下士官と兵を分離して収容するという決定がなされたことをきっかけとして、その強硬派が「日本兵には捕虜はいないはずである。分離収容に反対して反乱を起こせば、必ず敵の銃弾の下で死ぬことが出来る」と主張した。
 そこで秘密裏に、この反乱に賛成か反対かを全員投票にかけることになった。賛成なら〇、反対なら×である。折角死の恐怖から逃れられ、今楽しい時間を過ごしている人達にとって、普通なら賛成であるはずがない。しかしとても反対できる「空気」ではなかった。この「空気」およびその時の人々の心の中の葛藤は、その時代の「空気」を吸ってきたものには痛いほどわかる。もはや理性や論理は通用しなくなる。その結果、心や論理に反して、〇を付けた人が多かった。
 そして決行された反乱で、自殺した人を含め、234人が命を失った。反乱後どうするかについては何の計画もなかった。計画があったにしても、それは何の役にも立たなかったであろう。残りの人は再び捕虜になった。捕虜達はすべて仮名で呼ばれていたので、死んだ人の名前もほとんどわかっていない。
 勿論この事件は、日本で公表されることはなく、戦後も生き残った当事者達は、固く口を閉ざしていた。戦後60年経って、一部の人達がようやく口を開きだしたのであろう。生き残った人達の証言や記録から、こういう番組が作られることになったのである。
 その投票で、〇を付けた一人の言葉が実に印象的だった。断片的な言葉であったが、敢えてそれを敷衍することを許して頂けるなら、次のようなものだった。「今の民主主義でも同じですよ。『空気』に押されて丸を付けた結果がどうなるか・・・」。「生きて虜囚の辱めを受けず」と逃げ道のない勇ましい「空気」によって反対を封じ込め、「日本軍人には捕虜はいない」という虚構を作り上げる。こうして生きて帰れるはずであった人達の命が無駄に失われた。これがあの戦前・戦中にあった日本社会の実態であった。

 そもそも何故あんな馬鹿げた戦争を始めたのか。そしてもっと早く戦争を止めるチャンスはあったのに、東京・広島・長崎などの悲劇や、ソ連参戦が起こる前に、なぜ止めなかったのか。その問いに対する答えも、この日本特有の「空気」というもので説明できるように思われる。歴史にifは無用であるが、早く止めていれば国内での数十万の人が助かったし、北朝鮮という鬼子を生み出すこともなかった。シベリア抑留という無法も受けなくて済んだし、残留孤児も生まれなかった。
 
 山本七平に、「『空気』の研究」という名著がある。やろうとしていることが、誰が見ても無謀だと思われる場合でも、その決定をする場の「空気」が、その無謀さに異論を差し挟むことを妨げる。この「空気」はある種の「絶対権威」のように、驚くべき力をふるう。その「空気」というものは、今でも日本のあらゆる組織や機会に猛威をふるうことに思い当たる人は多いのではなかろうか。
 「あの時の空気ではそうせざるを得なかった」ということは、自らの「論理的判断」とは逆の、何ものかに「強制された決定」をしたことを意味する。その決定をしたものが「空気」なら、誰も責任をとれないし、その追及も出来ない。関東軍がやることが暴走であろうと、米国と戦ったら負けるとわかっていようと、その時代の「空気」が戦争を止める方向には向かわない。戦後の日本の戦争責任論がいまだに何の決着も見ないことは、やはり決定したものが「空気」であるという、日本の特質と無関係ではなかろう。
 
 今でも妙な「空気」が顔を出す。あのイラクでの人質に対するヒステリックなムードがそうであった。過去何度となく繰り返された官僚達の「不作為」も、恐らく官庁内でもあったであろう「行動すべき」という論理的判断が、「空気」によって、押しとどめられたことによるのではなかろうか。西武王国の社内の「空気」、欠陥隠蔽を繰り返した三菱自動車内の「空気」がどういうものだったかは、日本人なら誰にでも容易に想像することが出来よう。そしてそれは外国人にはとても理解できないことであるに違いない。
 
 こういう性癖が日本人にあるとすれば、我々には、自らの特質を見据えた上で、こういう「空気」「タブー」「ムード」を作らない努力が先ず必要だろう。その上で、自分の判断が、「空気的判断」ではなく、「論理的判断」であることを常にチェックしていくことが望まれる。「空気」はいつでも、時代や国や官や企業を誤らせる危険をはらんでいるのだから。

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