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29 November

闘病記

 このblogも随分長い間留守にしてしまった。この間は「闘病記」を書かなければならない羽目に陥っていた。やっと椅子に座れるようになったが、立つのも歩くのも不自由である。それも脳梗塞とか脳出血というのなら分かりやすいが、何とその原因が「帯状疱疹」というのだから異例である。

 今月6日にその兆候は現れた。まず右足の向こうずねに違和感を感じた。次の日には右の尻に圧痛を感じ、さらにその翌日太ももが痛くなった。それで整形外科を受診。レントゲンでは腰椎に余り異常は認められなかったが、座骨神経痛ということで、消炎鎮痛剤・筋弛緩剤・胃薬が処方された。
 ところが日を追うに連れて痛みが右足全体に拡がり、かつ激烈になっていった。数秒毎に襲う激痛で、立ち上がることも出来ず、家の中をはい回る始末。ただこの間助かったのは、寝た姿勢では痛みがなかったことで、夜は眠ることが出来た。
 15日、余りの痛さに整形外科で神経ブロックを受けた。それでも痛みは減らず、翌日から足指に痺れ、それに発赤が少し表れた。次に日には右の尻から足先にかけて一斉に赤紫色から白っぽい発疹が出現した。これはある程度予想されたように「帯状疱疹」かと推測できた。
 17日、整形外科医の了解を得て、皮膚科医のいる病院に入院した。いまでは帯状疱疹の標準治療法となっている「アシクロビル」という抗ウィルス剤の点滴を1日3回受けた。この頃には波状的な激痛は減ったが、その代わり持続的な痛みに変わり、寝ても痛みは去らず眠れなくなった。食欲はなくなり、吐き気が出て病院食には手が付かない。19日には紫斑病ではないかという医師の見方も出て治療方針が変わって、止血剤などの点滴になった。
 21日、別の病院の皮膚科の診察を仰ぐことになり、廊下に出たらいきなりつんのめった。これで右足先が持ち上げられないことに気づくことになった。座骨神経の下流、腓骨神経という運動神経が麻痺してしまったのである。帯状疱疹で腓骨神経が麻痺することは極めて稀なことだそうである。稀なことはもう一つある。普通片側だけに見られる疱疹が少ないとはいえ、左の足、背中、胸にも出現したことである。これは通常神経繊維に局在するウィルスが、血液を通じて全身に散らばったことを意味するようである。
 そもそも帯状疱疹は、ほとんどの人が神経細胞に潜ませている水痘ウィルスが、何らかのきっかけで暴れ出すことによって発症する。そのウィルスに対する抗体値が、異常なほど高まっていたことが分かった。言い換えれば我が帯状疱疹は劇症であったことになるのだろう。

 別の病院では通院で1日1回、「ビダラビン」という別の抗ウィルス剤の点滴を5日間受けた。これで疱疹は段々カサブタ化していき、帯状疱疹という火災は収まった。しかし右足全体の強い痺れと、腓骨神経の麻痺は残ったままで、これが時日の経過とリハビリでどこまで回復するかの問題になった。今は全く身体障害者の生活である。
 
 これは全く考えても見なかった体験である。一月前には大股速歩のウォーキングを楽しんでいたものが、一転して杖を頼りに、のろのろと歩くしかないもどかしさ。家にはいるために上らなければならない僅か4段の階段の何という険しさ。右足でスリッパをコントロールすることの難しさ。風呂場で転倒してガラス戸を突き破らないようにするための気遣い。ちょっと遠くに置き忘れた眼鏡を取りに行く大変さ。服の着替えや靴下を履くことの難しさ。
 何から何まで、五体健全であったときには何の問題もなかった日常行動すべてに、大変な努力を要する。これで日常の何でもない行動が自由に出来るだけで、人はどんなに幸せなことかを思い知らされることになった。
 これからも我が闘病生活は相当長く続くものと思われる。椅子に腰掛けることは短時間なら痛みを感じないで可能である。しかし長時間になると痛みが出てくる。無理をしない範囲で、blogへの投稿を何とか続けたいと思う。
11:30:36 | archivelago | | TrackBacks