Archive for 21 October 2005

21 October

前原民主党は自民党とどう違うのか

違いがなければ2大政党の意味はない

 惨敗した民主党の党首に前原誠司氏が就任して1ヶ月が経った。マスコミの予想を覆して、菅元代表を僅か2票差で破っての勝利であった。民主党議員の選択は、「昔の名前」よりも、若さと目新しさが国民の好感を呼ぶだろうと考えてのものであったろう。そうであれば、新代表の思想的傾向は二の次になった可能性がある。
 
 新代表は選挙の敗北が、支持団体である労働組合に遠慮して、郵政で対案を出せなかったことにあるとして、今後労働組合との関係は「見直して行かざるを得ないと思う。議論はするが、(意見が)合わなかったら袂を分かつくらいの決意が必要だ」と表明した。しかしこれには労組に関係の深い旧社民党系議員の反発は強い。
 元々前原氏は党内では最も右寄りと見られていただけでなく、あるいは自民党の右より右ではないかという見方さえあった。それはかれが、積極的な憲法改正論者であり、防衛・安保オタクと呼ばれるほどその方面に詳しく、自民党の防衛専門家と意見の違いはほとんど無いといわれる。アメリカの国防関係者との人脈もある。代表就任挨拶に訪れた小泉首相に、「あなたなら今すぐにでも小泉内閣に入れる。一緒にやろうじゃないか」とジョークを飛ばされたと、武部幹事長が講演で披露した。

 10月11日採決が行われたテロ特措法延長では、前原氏は賛成に回りたかったとされる。しかし党内左派だけでなく、小沢一郎氏に猛反対された。「これまで二度も反対した法案に賛成とは説明がつかない」というのである。鳩山由紀夫幹事長さえ、「単純に賛成するわけにはいかない」と明言し、結局反対でまとめざるを得なかった。
 20日から党憲法調査会で憲法提言のとりまとめが始まる。前原氏は「憲法9条2項を削除して自衛権を明記する」立場である。集団的自衛権の行使も容認するとしている。自衛隊が武力行使を伴う国連主導の活動に参加することも容認する。これらは自民党の大勢と全く同じである。
 しかしこれらが具体的になって来たときに、党内は騒然となるのではないか。確かにこれほど自民党と似通ってきたら、民主党の存在意義さえ問われるだろう。それでは自民党と対決するどころではない。前原氏を選んだ民主党の大きなジレンマである。小泉流で民主党を「純化」しようとしても、それは党の空中分解をもたらすだけに違いない。

 19日初の党首討論で、前原代表は得意の外交・防衛問題を中心に、小泉首相と渡り合った。八方塞がりになっている小泉内閣外交の問題点を、具体的に指摘しながら追及したところはなかなか聞かせるところがあった。しかしその中にも、前原氏の小泉首相以上に米国よりの姿勢が明らかになった。「東アジア共同体の話は米国が非常に懸念している」として、何故米国を「正式メンバーにするよう努力しないのか」という主張である。
 これは岡田前代表の考えとも違うし、「アジア重視」を掲げる党の立場とも異なる。これでは、対米一辺倒の小泉首相との違いは全く見えない。また東シナ海では、早く日本も試掘を始めるべきだと、中川路線を焚き付けた。
前原氏は討論の冒頭、「昔のような55年体制のイデオロギー論争をするつもりは全くない」と表明した。何を以てイデオロギーというかにもよるが、2大政党というからには、大きな理念上の違いがあって当然だし、それが国民の選択の幅を拡げる。ほとんど見分けが付かないような差であっては、二つの党に分かれている意味はない。とくに新自由主義か、ヨーロッパでいわれる「第三の道」かは、大きな分かれ道だと思う。
党首討論で最も激しいやりとりになった首相の靖国参拝問題にしても、前原氏のかねての発言から本質的な違いは見えてこない。首相は憲法19条「思想及び良心の自由」を持ち出して参拝を合理化しようとした。(これはいつも首相が採るご都合主義の憲法引用であって、聞いていて笑ってしまった) それに対して前原氏は、憲法20条の政教分離もあると反論した。反論はしたが、次のような9月30日の発言があっては迫力がない。「A級戦犯の分祀、遷座が行われれば、責任あるポジションになった時でもお参りをしたいと思っていたので、(首相の参拝に)違憲判決が出たのは複雑だ」(国会内で記者団に)。

今日は特に前原路線の問題点の内、労組との関係を取り上げたい。いま労働組合は崖っぷちに立たされている。本来社民党や共産党がその支持基盤であったはずだが、その両党は「絶滅危惧種」と自ら名乗らざるを得ないほど凋落してしまった。これは小選挙区という小党に不利な選挙制度の為もあるが、何より世界的な社会主義の退潮によるところが大きいだろう。その上、労組や労働運動が、よいイメージを植え付けてこなかったこと、多くの国民が少なくとも一時期、「中流意識」を持つほど生活水準が向上して、組合運動に魅力を感じなくなったことも寄与しているだろう。
 しかし労働運動が今必要とされなくなっているかというと、全く逆ではないか。これまで繰り返し指摘してきたように、今日本の経済格差は、許容できないほど大きくなっている。この弱者、いわば「虐げられている人々」こそが、最も労働運動を必要とし、労働組合を通じての団結を必要としているのである。
 ただこれらの人々は乾いた砂のようにバラバラに存在している。正社員を中心に組織されてきた企業内組合の組織率は20%を切っている。まして非正規雇用者はほとんど組織化されないままである。企業内組合は同じ企業内の非正規雇用者には冷たく、その最も弱いところに益々社会矛盾のしわ寄せが集中するようになった。先の連合会長選挙で、非正規労働者が中心の「全国ユニオン」の鴨候補が、3人?の選挙人しかいないのに100票以上を獲得した。連合はこういう人達の組織化にこそ全力を挙げるべきなのだ。
 そういう人達には、自民党が攻撃する労組の既得権益などあろうはずもない。確かに官公労などは、民間にない様々な特権を持ち、特に地方では民間労働者に比べて高すぎる賃金・退職金・手当を得てきた。これらに切り込もうという前原民主党の方針は、国民の支持を受けやすいだろう。
 だからといって、「労働組合は既得権益を守ろうとする抵抗勢力」というイメージを植え付けようとする、自民党の戦略に乗せられるのは全く間違っている。増加を続ける社会的な弱者の権利を守るには、社民党、共産党は弱くなり過ぎた。それに代わって、社会的公平の確保、お金万能的思潮への挑戦、米国の単独行動主義へのチェック、アジア諸国との真の意味での友好など、自民党では持ち得ない理念と行動を確立してこそ、民主党としての存在価値があろうというものだ。

 そういう意味で前原氏が民主党の党首に選ばれたことが、党にとってではなく、国民にとって正しい選択だったかどうか、問われ続けることになるだろう。

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