Archive for February 2006

22 February

「氷点週刊」の発刊停止事件

 ―中国での言論の自由はどうなるか―

 中国共産主義青年団の週刊誌、「氷点週刊」が、自国の歴史教科書を批判する論文を掲載したとして、1月末発行停止処分を受けた。その後発行停止は解かれたが、当時の編集長李大同氏は更迭された。
 ここまでの話なら従来の中国の言論統制の一つとして珍しくもなかった。しかし李・前編集長はこのまま引き下がらなかった。2月17日、処分に対する抗議声明を発表し、党中央の監督機関に異例の審査請求をした申立書も公開した。李氏は「彼ら(党中央宣伝部の役人達)の頭には、『公民の権利』の影すらない。」「どんな強権も中国を含めた人類社会の自由への渇望と追求を殺すことはできない」と痛烈に当局を批判している。
 また同紙に執筆したこともある北京大学の学者ら13人も同日、停刊処分を非難する胡錦涛国家出席らに当てた公開文書を公表した。問題の論文は中山大学の袁偉時教授と上海交通大学の徐臨江副教授によるものである。この論文の中で袁教授は次のようなことを指摘した。
 1860年、英仏の侵略軍が北京の円明園を焼き討ちしたのは許し難い犯罪であるが、その背景には条約違反を繰り返した清朝の愚かな行為があったのに、教科書はその愚挙には触れていない。1900年の義和団事件も、教科書は殺人や略奪など義和団の野蛮で残忍な犯罪を批判していない。日本の歴史教科書に中国は抗議しているが、中国の教科書の近代史観にも類似の問題がある。近代史に対する深い反省が欠けていることだというのである。
 徐副教授は中国共産党の八路軍が日本軍を打ち破り、共産党軍が抗日戦争で初めての勝利をあげたとされている「平型関の戦役」を取り上げた。実はこの平型関へは、窒素ラヂカル子は昨年五台山へゆく途中立ち寄ろうとしたが、悪路でバスが進めず、近くまで行きながらあきらめた場所である。そこには「平型関大勝利記念館」があって、そこには立ち寄れたのだが、添乗員は「気分が悪くなるだけだから行きません」といって見学させてくれなかった。
 ところで徐氏は、平型関の大勝利は115師団(八路軍)単独の勝利ではなく、国民党との協力によるものであって、現在の歴史教科書の記述は真相をゆがめていると主張する。2月16日の朝日新聞に載った徐氏の談話では、「歴史教育の中では学生に公民意識を樹立させ、社会や国家、民族、人類に責任を持たせなければならない。偏見のある教科書は再評価し、反省や批判をして新しくすべきだ。これは中国だけではなく、どの国、どの民族も考えるべきだろう」と述べている。この主張は日本の教科書にも当てはまるはずである。

 これほどの当局への批判があからさまになるのは、天安門事件後は珍しいことである。しかし似たような事件はほかにもあった。昨年夏、河北省で土地収用を拒む農民達が、正体不明の武装集団に襲われた事件をスクープした北京の日刊紙、新京報の編集幹部3人が突然解任された。これに対して記者達がストライキで抗議した結果、編集局長をのぞく2人の処分は撤回された。これらの事例は、中国でさえ当局の思惑通りにはならないほど、言論の自由への欲求が高まっていることを示すものだろう。
 先だって中国政府高官が「日本政府は反中の言論を何故取り締まらないのか」と発言した。民主主義体制の基本は言論の自由であるので、政府が言論を取り締まることは「原則として」ありえない。非民主主義体制下での政治家の感覚との違いを痛感させられた。

 いまアメリカでグーグル、ヤフー、マイクロソフト、シスコシステムズなどのネット企業が、中国当局に協力していることが議会の強い反発を受けている。中国政府は中国に進出した外国企業が、現地の法律に従うのは当然のことだと主張している。しかし中国政府が国民に見せたくない情報を選別する機能を提供するだけならまだしも、腐敗をネット上で告発した公務員に関する情報を、警察に提供するような積極的な協力までするとなると、米議会ならずとも反発する人は多いだろう。
 中国のインターネット人口は1億人を超え、アメリカに次ぎ世界第2位である。中国政府といえどもインターネットに流れる情報を完全に規制することは不可能である。「氷点週刊」の停刊問題も、規制の隙間を縫うように広く伝わった。伝わるにつれて国内から抗議の記事がネット上にたくさん公表された。ブログの閉鎖が当局によって行われても、別のブログを匿名で開設する例もあるという。

 このようなネット社会での報道規制はきわめて難しい。中国政府が報道規制を強めれば国民の間の不満は益々陰にこもって蓄積され、規制を弱めれば中国の政治体制の恥部を広く国民が知ることになり、政権の基盤そのものを揺るがしかねないという大きなジレンマに直面することになろう。中国指導部は、共産党独裁政治をどのようにして民主政治へ移行してゆくか、実に難しい舵取りを強いられることになる。その舵取りが成功するかどうかは、ほとんど50:50ではないかと思われる。失敗したときの対応も他の国は考えておかなければならないだろう。

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12 February

闘病記(3)ステロイド離脱の難しさ

 最高30mg(朝3、昼2、夜1錠)のプレドニン錠(5mg含有)を服用していた所から、25mg(2+2+1)、20mg(2+1+1)、15mg(1+1+1)、10mg(1+0+1)、7.5mg(1+0+0.5)、5mg(1+0+0)と5週かけて減量してきた。
 15mg段階では、突然顔がほてって真っ赤になることが多かった。自律神経がおかしくなっているらしい。10mg段階では特に問題なし。
 7.5mgに減らした最初の朝、ぞくぞくと寒気がして熱を測ったら38.5度もあった。インフルエンザか風邪かと思ったが、喉にも鼻にも異常はない。最も痺れの強い右足の甲に浮腫を生じていた。朝食後プレドニン1錠飲んだ後、昼頃にかけて浮腫は減り、同時に熱も下がった。その翌朝は37.5度の発熱。どうやらステロイドの減少で、麻痺した患部の炎症がひどくなり発熱したもののようである。3日目にはもう発熱はなかった。しかし浮腫は引かなくなってしまった。
 足先を締め付ける治療用のストッキングを医師に勧められて履いているが、それで浮腫が無くなるわけでもない。このストッキング、履くのも脱ぐのも一苦労である。
 減量の各段階で、用量を減らした当初は体が適応できず、ちょっとした作業で「ふーっ」というほど息が切れる。一番よくわかるのはリハビリでの自転車こぎである。普通なら仕事量60wattくらいの負荷と10分くらいの時間をかけてやっと脈拍は110を超えるのだが、こんな時には30wattくらいの軽い負荷でたちまち脈拍数110を超えてしまう。自ら作り出すステロイドホルモンが足りなくて、体のあらゆる活性が低下しているのだろう。
 この後プレドニンを0にできるかどうか、今のところ自信がない。しかし0にしないと血糖値が下がらず、いつまでもインシュリンに頼らざるを得なくなる。今、朝・昼・夜にインシュリン4+4+2単位打っていることもあって、朝食前空腹時の血糖値は103〜115とまあまあコントロールされているが、夕食前値は160〜200もあって朝服用するプレドニンの悪影響を示している。
 現在体重は56kg、理想体重から丁度10kg少ない。今のカロリー摂取量では増えも減りもしない。血糖値を上げずにこれを元に戻すのは容易ではない。甘いものも食べられず、コーヒーにも砂糖を入れられないのは甘党にはつらいものがある。
 今週末予定通り、プレドニン0にできるかどうかが一つの山である。
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10 February

「めぐみさん遺骨」についてのやりとりの詳細を知りたい

 ちょうど1年前、本blogに「DNA鑑定へのぬぐえぬ疑問」という文章をアップした。それは横田めぐみさんのものと称する、北朝鮮が渡した遺骨に関するDNA鑑定が、別人のものと結論したことへの素朴な疑問を提出したものであった。
 この判定に関しては、有名なイギリスの科学雑誌「Nature」(05.2.2)も、別人のものとの結論は出せないのではないかという見解を発表している。窒素ラヂカル子はNatureとは全く別の理由によって、別人のものとの結論に疑問を提出したものであった。簡単に言うと、遺骨は高温にさらされたものであって、そのDNA(ミトコンドリアDNAとされる)が、高温で変性していないことを証明しない限り、対照としためぐみさんのDNAと異なるDNAがあったとしても、それが別人のDNAとは断定できないはずだというものであった。
 
 不思議なことに、政府はさらに第三者の鑑定を仰ぐことも拒否し、また鑑定者の帝京大学の吉井富夫講師も、その事件の詳細を全く明らかにしようとしない。果たしてその実験や考察が学問的な批判に耐えるものなのかどうか、闇に葬られたままである。そして結論だけが一人歩きし、「北朝鮮は別人の骨をめぐみさんのものだとでっち上げた、実にけしからん国だ」という世論が、岩盤のように作り上げられた。
 英科学誌「ネイチャー」はさらに、その鑑定結果と鑑定した同大の吉井富夫講師(当時、現警視庁科学捜査研法医科長)の処遇に関わる疑惑を相次いで報じている。同誌05年4月7日号は、科捜研が吉井講師を管理職として採用したことは「吉井講師を発言させないように囲い込むためだったのではないか」とも指摘した。
 従って今回の日朝交渉で、北朝鮮がいわゆる「めぐみさんの遺骨」についての結論にどのような科学的な論拠を持ってくるか、そして日本側がそれに科学的に反論できるかには大きな興味があった。北朝鮮はこの「遺骨」問題で専門家協議を提案したらしいが、日本側は回答もしなかったという(日経2月9日)。また日本政府はこの遺骨がめぐみさんのものでないと確信があるのなら、めぐみさんの遺族に返還すべきだという北朝鮮の主張に応じてもよさそうなのに、そのつもりはなさそうである。
 どうもはじめに結論ありきの日本政府からは、その詳しい議論について発表される可能性は小さいだろう。現にマスコミで報じられたとも聞かない。どうもこの問題での日本政府の立場は、振り上げた拳のやり場に困っているようにも見える。「遺骨はにせもの」と早々と結論づけた日本政府の態度はあまりにも軽率であったといわざるを得ない。同様にその結論を鵜呑みにして報道したマスコミも同罪であろう。
22:42:13 | archivelago | | TrackBacks

06 February

規制改革の光と影

ー消費者としてのメリットと勤労者としてのデメリットー

 バブル崩壊によって日本経済が長期停滞に陥ったとき、それまでの日本的・護送船団的システムが悪いのだという議論が澎湃とわき上がり、世の中は「規制緩和」一直線で進んできた。小泉内閣はさらにいわゆる「改革」を旗印に、その路線をさらに突き進む姿勢を示している。

 このような「規制緩和」「規制改革」は、誰に利益をもたらしたのか。それは第一に消費者であり、第二に企業セクター、中でも大企業であったろう。ところが消費者は多くの場合、生産者・労働者・勤労者でもある。この二面性からみて、働く立場では人々に規制緩和がどんな影響を与えてきたのかを、十分に検証してみる必要があるだろう。

 規制緩和の典型的な業種であるタクシー業界に対して、国土交通省が抜き打ち監査を導入した。4月からは厚労省と合同の抜き打ち検査も行う。この理由はタクシー運転手のあまりにも劣悪な労働環境が、目に余るということである。
 タクシー利用者は減少しているのに、02年の規制緩和により業者数も台数も増え、1台あたりの売り上げは、04年度には99年度より3500円少ない8985円になった。運転手の年収は全産業平均の6割に満たない308万円。地域ごとに最低賃金法で定められた賃金を割り込む県(徳島、大分、宮崎)も現れた。労働者のセーフティネットとされる最低賃金制度さえ機能しなくなっている。その最低賃金そのもの自体、生活保護より少額の例が多い。欧州諸国の最低賃金は労働者の平均賃金の50%以上に設定されているのに対し、日本のそれは平均賃金の30%強にすぎない。セーフティネットともいえない水準である。
 タクシー運転手という職業が、会社をリストラされた人々の受け皿になったのは確かであろう。しかしその実態がわかるにつれて辞める人も多いらしく、利用するタクシー会社の中には、いつ乗っても新人運転手で、道がわからないという例が最近特に目立つ。
 あまりの低収入にたまりかねた運転手達が、「規制緩和による過当競争で低賃金労働を強いられている」として、国に損害賠償を求める訴訟も各地で起こっている。規制緩和のうたい文句は「事前規制より事後監視」であるが、この業種の規制緩和の例でもわかるように、事前規制を少なくして官の役割を縮小したとしても、事後監視業務は著しく増え、「小さな政府」には必ずしもならない。

 規制緩和は「働き方の多様化」の名目で雇用市場に及んだ。派遣労働の契約期間延長や対象業務の拡大など、企業にとっては「働かせ方の多様化」が進み、「働かせる自由」が拡大して大きなメリットをもたらした。正社員が97年から04年までに400万人減り、パート・アルバイト・派遣社員などの非正規社員は、01年に27%であったものが、05年には33%に増えた。女性だけでは05年に53%と半数を超えている。特に流通業界では従業員の8割が非正規労働者という会社は珍しくない。こうした非正規社員の8割は、月給が20万円未満だとされる。また4割は税込み月給が10万円未満で、生活保護基準にさえ及ばない。
 フリーターと呼ばれる定職のない若者は213万人、それにニートと呼ばれる働く意欲もなくした人たちが64万人もいる。これら不安定で低水準の収入しかなく、年金にも加入していない人たちが、歳を重ねたとき、大量の生活保護者が出現する。その社会的負担は莫大なものになるだろう。
 政府や一部の論者は自ら好んで非正規社員になっている人もいるというが、彼らのほとんどは正社員になりたくても働き口がないからやむを得ずという人たちである。人材派遣業界の売上高は、04年度に2兆8615億円と、前年度から21.2%増えた。5年間で倍増である。特に製造業への派遣解禁が追い風になった。
 これら労働市場の規制緩和は、我が国における「同一労働同一賃金」原則の不徹底と相まって、労働者の間の格差を拡大したことは否定できない。97年比、生活保護世帯は60万から100万へ、教育扶助・就学援助を受けている児童生徒は6.6%から12.8%へ、貯蓄ゼロ世帯は10%から23.8%へ、国民健康保険の保険料を1年以上滞納して、保険証に代わる被保険者資格証明書の交付を受けた世帯は01年の11万から04年30万に増加した。
 これらの現象は都市や地方の財政を圧迫している。例えば足立区では生活保護費が05年度345億円と、区税収入330億円を上回っている。公立校に通う児童生徒の実に4割強が文房具・給食費などの援助を受けているというから驚く。これらの費用は5年間で3割も増えた。これらは自治体が削ろうにも削れない費用である。
 
 一方で減らされた正社員への業務の集中が、残業時間の増加に結びつく。残業手当が付くならまだしも、多くがサービス残業の形をとる。労働基準監督署は行政指導を強化している面もあって、時々目に余るケースを一罰百戒的に指導したことが新聞面に載ることがある。しかしそれは氷山の一角で、月100時間を超すサービス残業に疲れ果て、過労死する人も少なくない。政府は法的な規制を強化し、違反企業には厳罰を科す必要がある。
 そういう中にあって、最近1月27日、厚労省の研究会は、労働時間規制を大幅に緩和する報告書を発表した。法定労働時間を超えて働いた場合に支払われる割増賃金を、管理職手前の「課長代理」などにも「裁量労働」を適用して支払わなくてもよいようにするというのである。厚労省は来年の通常国会にも労働基準法の改正案を提出する計画という。経済界は大歓迎である。しかし横行するサービス残業をそのままに、「君は課長代理だ」と名目だけを与えて、残業代を支払わなくて済むようになれば、それこそ悲惨な事例が増えるばかりだろう。
 先月日本マクドナルドを相手取って訴訟を起こした同社店長、高野広志さんは、午前4時に起きて通勤に1時間かけて6時には店に入る。午後11時まで店長業務と接客をこなし、閉店後は売り上げを確認。午前1時に帰宅。睡眠は僅か3時間。会社は「管理職は労基法の対象外」とし、残業代を出さない(朝日新聞06.1.15から)。これを過酷といわずして何というか。この例など、もはや働く人は人間扱いされていないというしかない。まさに奴隷労働の復活である。
 我が国での過労死数は年に約1万人と推定されている。労働者の3〜4人に一人は過労死予備軍とさえ言われる。

 消費者のニーズに合わせるとして導入される制度や規制緩和は、働く人への負担を増すものが多い。24時間営業もその一つである。「お客様は神様」という命題は果たして正しいのか?そのお客様は、別の時間には勤労者である。その勤労者が非人間的な条件で働かされているとすれば、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という、憲法第25条の規定にも違反する事態である。その場合「神様」に多少の不便や制約を与えることはやむを得ないと考えるべきだろう。

 今世間では「希望格差社会」「下流社会」「不平等社会日本」といった本がベストセラーになっている。それが国会でも「改革の影」の部分として、与野党の議員から問題提起されている。それに対して小泉首相は、「日本ではいわれているほど格差が広がっているという証拠はない」と、都合のよいデータだけを拾い出して結論づけた内閣府の報告を援用しながら主張する。しかし格差が広がっている証拠はいくらでもある。昨年10月に本blogに書いた「経済格差の拡大は防がねばならぬ」で、具体的な数字を示したのでここでは繰り返さない。
 格差は地域間、または企業間でも広がっている。有効求人倍率の94年と04年の比較をみると、東京都で0.49から1.21へ大幅に改善されたのに対して、北海道では0.56から0.55とむしろ悪化している。一人あたりの年間給与の大企業と中小企業の差は、94年の256万円から298万円へ拡大した。日銀短観での業況判断指数が、大企業では03年にプラスに転じたのに対し、中小企業では改善されつつあるとはいえ、05年でもまだ水面下である。

 小泉首相は、「格差は悪いことは思っていない」「成功者をねたむ、能力のあるものの足を引っ張る風潮は厳に慎まないと、この社会の発展はない」とも国会で主張した。これに対するかみ合った議論はまだ聞かれず、首相の言いっぱなしになっている。この新自由主義的見解に、是非有効な反論を期待したい。
 これまでの実績を見る限り、この小泉・竹中流の新自由主義は、大企業およびきわめて少数の「勝ち組」に、最も大きい利益をもたらしたことは間違いない。その一方で、「努力しても仕方がない」という、将来への希望さへ無くした若者を、大量に生み出しつつある。「将来日本社会は経済的にどうなるか」という質問に、25歳から34歳までの未婚の若者約1000人の、実に三人に二人は「今より豊かでなくなっている」と答えている(山田昌弘東京学芸大教授らの調査による)。
 小泉・竹中路線は、効率の追求に急で、人間的視点を忘れ去っているのではないか。「小さな政府」ではなく、人間の尊厳が維持できる暮らしを守るために、自らの果たすべき役割をしっかりと認識して、政策を打ち出せる政府こそが求められている。消費者は同時に勤労者でもあるという二面性の視点から、「消費者の便益のためになることはよいことだ」として、作られてきた社会システムも、見直してみる必要があるのではないか。
                (06.2.6)
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03 February

老後の幸せのために自由に税金を使える幸せ

 防衛施設庁を舞台とする官製談合が連日報じられている。それによると天下りの受入数やその待遇の善し悪しで業者がランク付けされ、そのランクに従って納入量や工事量が決められるという。談合のあるなしで請負価格は2割くらいは違うらしいので、その差額に相当する税金が、役人の老後の収入確保に使われていることになる。なんともあきれ果てた話である。
 例えば岩国基地の滑走路沖合移設工事の事業費は、2400億円の巨費である。その2割とすれば500億円近い差額が出ることになる。こんな巨費が役人の天下り経費として浪費されていることになる。防衛施設庁だけでも、官製談合は今明らかになっているものだけでなく、ほかのすべての発注に付きまとっていることだろう。
 今たまたま逮捕者が出て防衛施設庁が注目されているが、官が行うありとあらゆる発注業務で官製談合が行われていると考えるのが自然である。窒素ラヂカル子が昨年6月「今頃『談合』と騒ぐなんて」という文章で書いたように、建設業界は発注者の官民を問わず、すべてが談合での受注であった。独禁法での談合への罰則が強化されることに伴って、大手建設会社5社が、今後談合から完全に足を洗うことを決意したということが報じられた。これが本当なら画期的なことであるが、今後の監視が必要である。

 それにしても官僚の金銭感覚には恐れ入るほかない。自分たちが使っている金が、税金あるいは国債という名の、将来の国民の税金だということがまるでわかっていないようである。予算として配分された後は、自分たちの金という気になるのだろう。だからこそ、その金を官製談合によって無駄に使っても、何の痛痒も感じないでいられる。こんな悪事をはたらきながら、お手盛りの褒章はちゃっかりと頂く。いい気なものである。
 この金銭感覚は、地方公務員も全く同じである。その極端なのが大阪市の役人たちである。役人天国とはよく言ったものである。自分たちの老後の幸せのために、自由に税金を消費できる幸せを、一度味わったらもうやめられない。この伝統だけは長年引き継がれて今日まで来た。今回特捜部はどこまでやるつもりなのか。一罰百戒的に、たまたま最近の談合を取り仕切った幹部を処罰するだけで終わるのか、過去に遡ってすべての談合主導者を検挙するのか。多分前者であろう。
 すべての官僚に、自分たちは税金で養われ、税金を国民から託されて使っているということを、入省の時から徹底的にたたき込むなんて、夢のまた夢か。
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