Complete text -- "「ミメティスム」の克服"

13 March

「ミメティスム」の克服

 2月20日の朝日新聞夕刊で、「ミメティスム」という言葉を初めて知った。フランスの政治哲学者A. ブロサ・パリ第8大学教授の提唱する概念だという。Mimétismeという言葉は元来生物学の「擬態」という意味らしい。ブロサ氏によれば「自分のしたことを条件反射的に相対化する論理」だという。日本語では「仕返し主義」「模倣の論理」などの訳語が候補に挙がっている。(しかし余りよい訳語とは思えない)
 
 それは日本の政治家や保守的な言論人からしばしば聞かされる言葉、例えば「先の戦争は日本だけが悪いのではない。仕方なく始めさせられたのだ」「アジアの植民地支配を先に始めたのは日本ではないのに、どうしていつも日本だけが悪者にされるのだ」「確かに殴ったかもしれないが、僕らがやって以上に殴り返されたじゃないか」「日本は侵略したことがあるかもしれないが、それによって植民地の独立に大いに貢献した」といった論理である。
 そして彼らは、先の戦争を反省することを、自虐史観に囚われていると非難する。しかし過去の悪いことを反省し、二度とそういう過ちを繰り返すまいと決意することの方が、彼らのミメティスム的論理より遙かに勇気が要り、遙かに建設的である。
 
ブロサ氏は、過去を巡って日本とドイツの違いが最も顕著に表れるのは、ミメティスムに囚われているかどうかだという。西ドイツでは60年代に若者達が「父親達が何をしたのか」を問いつめることなどを通じて、ミメティスムから脱却し、政治指導者も国民の圧倒的多数も、ドイツ人の名において第三帝国の下でなされた戦争犯罪の責任を引き受けるようになったというのがブロサ氏の見方である。

 初来日のブロサ氏にとって日本での驚きは幾つもあった。北方領土、竹島、尖閣諸島などの領土紛争がいまだに尾を引いていること、小泉首相の靖国参拝、そしてその靖国参拝に対して若い世代の政治家から批判の声が上がらないことなど。
 ブロサ氏はいう。「西欧では二度の大戦での壊滅的な災禍が、ミメティスムでは何も解決しないという暗黙の了解を人々の間に生み出した」「仕返ししても何も解決しない。相手の立場を理解しようとする普通の人たちの開かれた態度が、西欧に暗黙の了解を成立させた」「二度経験しないとわからないものでしょうか。日本は、もう一度の経験が必要なのですか。空恐ろしいことです」
 
これらの指摘は至極当然で、窒素ラヂカル子がかねて憤りを込めて主張していることばかりである。あの戦争の開始や敗北を総括することもなく、極東裁判の不当性を主張するばかりで、A級戦犯を祀った靖国神社を首相が参拝しても、約半数の国民がそれを支持する日本。その上、近隣諸国に対して過去の失敗への反省を何回も公式には表明しながら、その反省や謝罪を疑わせるような言動を繰り返す政治家。その言動への批判を繰り返す外国に対して、「毅然として反論する」ことに小さなナショナリズムを満足させるだけの国民。しかもそのナショナリズムを強固にするために、「国を愛する心」を盛り込んだ教育基本法の改悪に乗り出そうとする政治。実に愚かというほかない。ブロサ氏がいうように、日本はもう一度同じ過ちを繰り返すつもりなのか。

最近読んだ文章の中で最も心に残ったものは、辺見庸氏の「小泉時代とは」という寄稿である(朝日新聞,06.3.8)。「政治のショー化、有権者のサポーター化といった現象が、イメージ偏重型である小泉首相の登場を引き金に、この国でも顕在化した」とする。
「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」を地で行ったのが、小泉政治の5年間であったという。一犬である小泉首相がでたらめを語ると、万犬すなわち群衆はそれを真実として広めてしまう。その群衆の危うい変わり身と、それに拍車をかけた「一犬」と「万犬」をつなぐメディア、特にテレビメディアにひやりとしたものを感じるというのである。ショー化した政治は「ファッシズムよりましというだけで、民主主義ではない」と断じたレジス・ドブレの言葉に、氏は一つの問いを継ぎ足す。「日本は本当にファッシズムではないと断言できるのか」と。
先の選挙における小泉首相の演説はヒトラーそっくりであった。複雑で多岐にわたる政治課題を、単純化し、黒か白かで選択を迫る。そしてそれを繰り返し繰り返し、熱情をもって、断固とした口調で、騙しのテクニックを駆使し、すり替え論理を使って、断定的に訴える。嘘も百回つき続ければ本当と思われるという、まさにヒトラー流である。

こういう劇場政治が進行する中で、最近の日本国民に、ミメティスムがかなり広く受け入れられる雰囲気が出てきているように思われる。それが小泉首相の靖国参拝とそれへの中韓両国の反発が、その傾向に拍車をかけたのは間違いない。

9月に小泉時代は終わるらしい。しかし小泉より右派の安部晋三官房長官が首相として登場するのでは、近隣外交は停滞したままであろう。町村外相時代にも窒素ラヂカル子は、「劣化する政治家の外交センス」という文章で批判したが、現在の麻生外相はそれに輪をかけて外交音痴である。「中国は脅威」とか、「台湾は国」とか公言し、無用の摩擦を積極的に引き起こす。外国にけんかを売るのなら外務大臣なんか要らない。

自民党総裁が首相になることは間違いない現在、その投票権を持つ自民党員には、ミメティスムを克服できる人物を選ぶ良識を期待したいのだが。
                  (06.3.13)

22:21:50 | archivelago | | TrackBacks
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